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太空堂月珠大宗師行状


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作成者 Jogye 日時21-07-26 17:20 再生1,347回 コメント0件

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2013年11月、生命の井戸2000個完工式に参加し、地元の子どもに水を与える姿。

 

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2009年、ミャンマーのマニッヤマー(Ma Nyt Ya Ma)を訪れ、地元の僧に扇子をプレゼントする姿。 

 

 

太公堂月珠(ウォルジュ)大宗師の生涯は、大韓民国と韓国仏教の近現代史そのものである。世間の学問を学び、出家し、修行精進し、韓国仏教の礎を築いた。更に国と民族の苦痛を解決し、世界人類の共生を実現するため一瞬も歩みを止めなかった。

 

月珠大宗師は、1935年、全羅北道井邑で生まれ、山外小学校、ソウル中洞中学校、井邑農高を卒業し、朝鮮戦争の激動期の中で宗教的な実践遂行を通じ、平和な世界を実現しようと念願した。

 

我々が大宗師の人生を大切にする理由は、大宗師が山寺に留まっているだけではなく、同体大悲の普賢行願を一生変わらず堅持していたからである。出家沙門として参禅修行と並行し、衆生の苦しみを減らし、楽しさを増す慈悲行もこの上なく大切であることを教えてくれた。 

 

1966年、第2代中央宗会議員に選ばれて以来、曹渓宗総務院教務部長、総務部長、中央宗会議長など、宗団の公職に就き、大韓仏教曹渓宗の堅固な礎石を築いた。仏教浄化運動の余震で、宗団が直面していた現実的な課題を直視し、その代案を提示する叡智を如実に示し、更に将来の韓国仏教の百年の計を設け、具体的な方策を示してくれた。個人的な利害関係から離れ、ひたすら公心を前面に押し出したため、四部大衆の信頼を受け、1980年4月、大韓仏教曹渓宗第17代総務院長に推戴された。 

 

月珠大宗師は40代半ば頃、総務院長という大任を引き受け、日本式の倭色仏教の清算と清浄比丘の浄化精神に基づき、宗団内部の葛藤を終結させ、和合の時代精神を宣揚した。政教分離の原則に基づき、不当な国家権力の干渉を排除する一方、制度改革を通じ、大韓仏教曹渓宗が韓国社会の明るい灯となるよう貢献してきた。 

 

12・12事態と5・17クーデターを通じ、権力を掌握した軍部政権の支持声明要求を一言の下に拒否し,5・18民主化運動の当時、光州を訪れ、負傷した市民を慰め、犠牲者を偲ぶ追悼行事を行なった。 

 

このような月珠大宗師の足跡は、世間と出世間が違うのではない、という六祖慧能和尚の教えを受け継いでいるものである。 

 

仏法在世間

不離世間覚 

離世覓菩提 

恰如求兎角 

 

仏法は世間の中にあるので

世間を離れては悟ることはない。

世間を離れてから悟りを見つけようとするなら

まるでウサギに角を求めるようなものである。

 

1980年、新軍部は国民の世論を糊塗するため、武装した軍人を動員し、軍靴で神聖な寺院を踏みにじる歴史上類を見ない「10・27法難」を起こし、宗権を奪い、仏教を弾圧した。そのとき以来、月珠大宗師はアメリカ行きの飛行機に乗るしかなく、ロスアンゼルスの般若寺で参禅修行を行い、将来に対する慧眼を持つようになった。

 

月珠和尚は知恵を増長させる智増菩薩も立派であり、しかし、慈悲を幅広く広げる悲増菩薩の功徳が秀勝するという<華厳経>の教え通り、日常生活の中で慈悲行を忠実に実践した。

 

山中のみの修行にとらわれず、孤独で助けが必要な市民と苦楽を共にするダイナミックな菩薩行を実践した。地域感情解消国民運動協議会共同議長(1980)、経済正義実践市民連合共同代表(1989)、公明選挙実践市民連合常任共同代表(1990)、祖国平和統一仏教協会長(1992)を歴任し、韓国社会が直面している問題解決に貢献した。

 

 

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1997年、IMFの当時、‘金集め運動’に参加した月珠和尚と金寿煥枢機卿。 

 

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2010年、共にする財団が主催した‘アジア社会的企業活動家大会’で挨拶をする月珠大宗師。 

 

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2009年9月、ナヌムの家を訪問し、慰安婦被害者に激励金を伝える姿。

 

1994年、大韓仏教曹渓宗第28代総務院長に就任して以来、我が民族助け合い常任共同代表兼理事長(1996)、韓国宗教指導者協議会共同代表議長兼理事長(1996)、大統領国土統一顧問会議顧問(1998)、失業克服国民共同委員会委員長(1998)、社会福祉法人ナヌムの家理事長(1998)として活動しながら、社会苦を解決し、国家と国民のために無量な貢献をしてきた。今は故人となった金寿煥(キム·スファン)枢機卿、姜元龍(カン·ウォンヨン)牧師と共に、韓国社会の長老として宗教界の指導者としての手本となった。

 

1994年、希望に満ちた改革宗団の総務院長に就任し、僧家教育を専担する教育院と布教伝法を専担する布教院を設立し、内実を固める一方、「悟りの社会化運動」を唱え、修行と教化が別のものではないことを示してくれた。

 

1998年、第28代総務院長を退任した後、娑婆世界で蓮の花を咲かせるため、市民社会運動と非政府組織(NGO)を通じ、様々な救済活動に尽力した。誰も関心を持たない日本軍被害者達(慰安婦)の名誉と安危のため、国家と国民に代わりにナヌムの家を設立し、立ち遅れた環境で苦しむ人類を救うため地球村共生会を創立し、慈悲の蓮の花を咲かせた。

 

月珠大宗師は自分の回顧録「ウサギの角、カメの毛」で、「これからは国内だけではなく、世界に目を向ける時期である。私には‘第二の出家’であった。自分のみではなく、全ての人が分かち合える大きな井戸を作らなければならない」と力説した。80を超えた老齢にもかかわらず、29年間、無報酬で日本軍慰安婦被害者の名誉と尊厳を暖かく守り、長時間飛行機に乗り、東南アジアとアフリカまで駆けつけ、現地人たちに必要な手助けを提供した。

 

「もうゆっくり休んで余生を送ってください」と、周囲の懇切な引き留めにもかかわらず、衆生たちが暮らす「生活の現場」から離れなかった。精神的な苦痛や生活が苦しい人たちがいれば、遠近を問わず訪ねた。そこが正に月珠大宗師にとって修行場であり、道場であった。

 

天地与我同根

万物与我一体


天地と私は同根である。

万物と私は一体である。

 

月珠大宗師の慈悲行に感動した政府と教界の内外でも、それなりに感謝の志を示した。国民勲章牡丹章(2000)、国民勲章ムグンファ章(2011)、カンボジア国王勲章(2010)、ミャンマー最高爵位「Saddharma Jotika Dhaka」(2013)、曹渓宗布教大賞(2005)、萬海大賞(2012)、第1回民世賞(2010)、大円賞(2013)などを受賞した。

 

月珠和尚の回顧録では余生の望みを、「私が所属している宗団、民族と社会、世界の人類のため大衆と共に走り続けるだけです」と話し、「使命があればあるなりに、なければないなりに、最善を尽くすことが出家者としてのひたむきな望みであり、所信である」とおっしゃった。

 

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2013年、釈迦生誕日の時、金山寺の満月殿で茶談をする姿。 

 

ひたすら修行精進に専念すると同時に衆生を救済し、人類の幸せのための道を歩んできた月珠大宗師は、2021年7月22日、世寿87才、法納68才で涅槃に入った。世縁を尽くしたとしても、月珠大宗師の人生そのものは無名の世界を照らす明るい灯りとして、皆の心中に永遠に残るであるだろう。それでは元暁僧のお言葉を借り、月珠大宗師の教えと慈悲行を要約する。

 

帰一心源

饒益衆生


一心の根源に戻り

一切衆生を利するようにせよ。

 

 

 

 

太空堂月珠大宗師臨終偈

 

 

天地本太空 

一切亦如来

唯我全生涯

卽是臨終偈

喝!


天地はもとより太空であり、

一切がまた仏である。

ただ、私が生きてきた全ての生涯が

正に臨終偈ではないか。

喝 !

 

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