韓国の仏教美術の歴史


仏教美術

韓国の仏教美術の歴史

韓国の仏教美術の歴史

韓国の仏教美術は、この地で成し遂げられた最初の視覚革命であり、韓国美術の根幹を成す主要な位置を占めてきた。仏教が外来宗教でありながらも、韓国仏教が独自的に発展していったように、その造形活動も同じく独創性をもって発展した。
それぞれの国が性格を異にしながら発展した三国時代(4C∼7C中ごろ)の造形活動は非常に多彩なものであり、統一新羅時代(654∼935)の美術は、韓国仏教美術の絶頂期を成すものとして評価される高麗時代(918∼1392)もやはり、仏教は国教としての位置を確固たるものとしており、仏教思想を土台にした仏教美術は新しく多様に展開された。特に禅宗の台頭に従い、、造形物においては、禅宗独自の新しい領域を開拓していった→が開拓されていった。
韓国の仏教美術の歴史

しかし、朝鮮時代に入ると急激に変化が起こった。

儒教を崇拝し、仏教を抑制した政策により仏教の萎縮と同時に、その美術活動も急激に衰えた。全国各地の寺院の建築物をはじめ、様々な造形活動も次第に勢いを失っていった。壬辰倭乱(1592年から1598年までの文録・慶長の役)と丙子の胡乱(1636年12月から1637年1月に渡った淸国の侵略戦争)の戦災で燒かれたり、略奪されたりして、数千年の伝統を継いできた民族文化財が受難を被ったのである。しかし、そんな時代にでも仏教文化は絶えることなく連綿として継承された。戦乱に見舞われても国を守ることができた原動力も、戦乱の痛手を癒したのも仏教であった。

これが仏教が抑圧された時代にも大規模な寺院の再建ができた理由である。

そのとき造成された寺院文化が現在まで受け継がれ、韓国人の精神世界の重要な役割を担っている。

COPYRIGHT © 2018 大韓佛教曹溪宗. all rights reserved.